お金で得られるものと与えられるもの

お金のために仕事をする事 子供のころ少ないお小遣いを握りしめて、母に連れられて買いに行ったアイスクリームは今でも忘れられないくらい美味しかったです。その時の私を見る母の顔も忘れられません。お年玉を貯めて初めて自分で買った自転車に乗った時のことも一生忘れることはないでしょう。そして、今は、幸運にもアイスクリームくらいは躊躇することなく買うことができます。しかし、それを口に入れた時の喜びは食べ終わるのとほぼ同時に忘れてしまいます。自転車だって、特殊な外国製の高級品でなければ、必要なら買うかどうかをそんなに悩むこともないでしょう。しかし、こちらも手に入れた時の喜びは、その本来の目的から得られる便利さ以上のものを感じることはないでしょう。

それでは、自由になるお金が増えるということは、どういうことなのでしょうか。買えるものが増えて、それだけ喜びも増えるということではないことは経験上はっきりしています。お金は喜びを削っていくものなのでしょうか。だとしたら、喜びと引き換えに得ているだけで、それを得るために必死になっている人生は、何の意味があるのでしょうか。お金は何かを得るために稼いでいるのではない気がします。稼ぐ過程において、多くのものを学びます。そして多くの人と出会います。それが幸せなのではないでしょうか。そして稼いだお金は何かを得るためのものではなくて、何かを誰かに与えるためのものなのではないでしょうか。子供の頃、与えられたように。そして、その与えたものに金額以上の価値があるからこそ、与えられた人は大きな幸せを感じ、忘れられない記憶となるのではないでしょうか。

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